PROJECTプロジェクト

名木伝承データベース

各地域には多くの名木があります。1本1本の名木に着目し、その「いわれ」や「伝承」を残していくことは、自然保護や民俗学の観点から重要と考えます。そこで「名木伝承データベース」を立ち上げました。それぞれの名木の「いわれ」や「伝承」を主な情報として閲覧いただけるサイトです。2021年11月1日「名木伝承の日」に合わせてオープンいたしました。皆様からも、お近くの名木情報をお寄せいただきたいと思います。準備が整い次第、皆様からの名木伝承情報を募りますので、今しばらくお待ちください。

長勝院旗桜 画像
長勝院旗桜

世界にひとつだけの桜

長勝院旗桜ちょうしょういんはたざくら

ヤマザクラの一種で、日本櫻学会が発行する「櫻の科学」の平成10年(1998)9月号に「世界に一本だけの新種」と掲載されました。花は大きく、一重咲きの花にオシベの一部が、旗を立てたように見えています(これを「旗弁(きべん)」と言います)。花によっては2枚くらい付くものもあり、この旗弁を見つける楽しみもあるハタザクラです。この貴重な旗桜を絶やさないために、市内10か所程度に植樹されているようです。

名木伝承データベース No.1

住所:埼玉県志木市柏町3丁目11-13

指定:志木市指定天然記念物、志木市指定保存樹木
樹齢:推定400年以上
樹高:11.2m 幹周:3.05m
頼朝桜 画像
頼朝桜

源頼朝の再起を記念して植栽

頼朝桜よりともざくら

石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、真鶴(まなづる・神奈川県)から船で脱出し、千葉県安房郡鋸南町(きょなんまち)に、家臣の土肥実平(どいさねひら)と二人で治承4年(1180)に上陸しました。そして頼朝は、同年10月7日に鋸南町で再起して鎌倉入りを果たしたのです。そのことを記念し、頼朝が挙兵した鋸南町では、平成13年(2001)に静岡県河津町から「河津桜」の原木を譲り受け、「頼朝桜」と名付けて毎年「頼朝桜まつり」を開催しています。

名木伝承データベース No.2

住所:千葉県安房郡鋸南町大崩39

本数:約15,000本
備考:毎年「頼朝桜まつり」を開催
羽衣の松 画像
羽衣の松

美しい天女と平常将伝説

羽衣の松はごろものまつ

この松に羽衣をかけて「千葉(せんよう)の蓮の花」が咲き誇るのを見入った天女。そのすきに羽衣を奪い、自分の妻としたのが土地の豪族、平常将(たいらのつねまさ)です。伝説によれば、常将と天女の間に儲けたのが常長(つねなが)であると言われています。天女と松に関する伝説は各地にありますが、たいていは泳ぎに来て羽衣を奪われ、共に暮らしますが、最後は羽衣を取り返して天に帰る、というのがほとんどです。天女が花に見とれて妻になって、子まで成すというのはとても珍しい。できれば、そのへんの様子を見ていたこの松に、聞いてみたいものですね。

名木伝承データベース No.3

住所:千葉県千葉市中央区市場町1-1

備考:なし
森戸神社の千貫松 画像
森戸神社の千貫松

頼朝も認めた価値ある松

森戸神社の千貫松もりとじんじゃのせんがんまつ

毎年、海水浴客でにぎわう森戸海岸の近くにある森戸神社。その神社の裏手、海岸に突き出た岩の上に「千貫松」という松があります。この名前の由来は、源頼朝が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩の上の松を見て「いかにも珍しき松」と感心したところ、出迎えた和田義盛(わだよしもり)は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言われています。今の価値で一貫が約10~15万円ですから、千貫は約1億~1億5000万といったところでしょう。

名木伝承データベース No.4

住所:神奈川県三浦郡葉山町堀内1025

備考:なし
政子の安産杉 画像
政子の安産杉

源頼朝が政子の安産を祈願

政子の安産杉まさこのあんざんすぎ

箱根神社は皇祖三神、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)をお祀りしていますが、この名木は古代祭祀の象徴たる 神籬(ひもろぎ )として崇めてきたもので、健全な母胎の象徴であり、子孫繁栄を祈る名木です。源頼朝は、この木に政子の安産を祈願して、實朝(さねとも・三代将軍)が無事誕生しました。こうしたことから、今日でも「政子の安産杉」として親しまれ、信仰されています。

名木伝承データベース No.5

住所:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1

樹齢:推定1,000年
樹高:40m  幹周:19.31m
土肥の大椙 画像
土肥の大椙

源頼朝主従が隠れた名木

土肥の大椙といのおおすぎ

治承4年(1180)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、大杉の伏木(ふしき)の空洞に隠れた場所と言われています。平家方の大庭景親(おおばかげちか)の命により梶原景時(かじわらかげとき)は、伏木の中をうかがい頼朝と目が合いましたが、助けようと決意し、蜘蛛の糸を鎧に付けて「誰もいない」と他の者の探索を許しませんでした。後に景時は、頼朝の家来になったと言います。大正6年(1917)の暴風雨で、頼朝主従が隠れたこの大杉は倒木してしまいました。

名木伝承データベース No.6

住所:神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋

備考:現地に「土肥の大椙跡の碑」あり
影向寺の乳イチョウ 画像
影向寺の乳イチョウ

乳がよく出る不思議な名木

影向寺の乳イチョウようこうじのちちいちょう

今は昔、言い伝えによると乳が出ないので困った母子が、池に身を投げしようとしたところ、不思議な光が現れました。その後をついて行くと、このイチョウの前に着き、「乳柱(ちはしら)を削って汁を飲め」とのお告げがあり、その通りにすると乳がよく出るようになりました。乳柱とは、枝や幹から垂れ下がる円錐状の突起のことです。この木は川崎市内最古のお寺、影向寺にあり、本堂の屋根よりはるかに高くそびえ立っています。

名木伝承データベース No.7

住所:神奈川県川崎市宮前区野川本町3丁目4-4

樹齢:推定600年
樹高:28m 幹周:8m
王禅寺柿の原木 画像
王禅寺柿の原木

日本で最初の甘柿と言われる

王禅寺柿の原木おうぜんじかきのげんぼく

等海(とうかい)上人が王禅寺の山中で、見たこともないような赤い柿がなっているのを見つけ、一口食べてみると非常に甘くて美味しかったのです。そこで上人は、この柿の枝を折って村人に接木(つぎき)をさせて栽培を広めると、瞬く間に「王禅寺丸柿」としてよく売れましたが、そのうちに「王」が取れて「禅寺丸柿」と呼ぶようになりました。王禅寺にある日本で最初の甘柿の原木は、そのひこばえが成長したものです。

名木伝承データベース No.8

住所:神奈川県川崎市麻生区王禅寺940

樹齢:推定450年
樹高:6m 幹周:2m
頼朝杉 画像
頼朝杉

源頼朝が大願成就を祝して植えたと言われる

頼朝杉よりともすぎ

智満寺は平家打倒が叶った後、大願成就を祝して、文覚の勧めにより源頼朝が千葉常胤(ちばつねたね)に本堂を再建させたものです。千葉氏が再建したので、山号は静岡にありながら千葉山になっています。 文覚や千葉常胤の行動力により、平家打倒、奥州征伐から武家社会の幕開けという偉業を成し遂げた証に植えたのがこの頼朝杉です。

名木伝承データベース No.9

住所:静岡県島田市千葉 智満寺境内

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定800〜1,200年
備考:自然倒木により、現存せず。
狩宿の下馬桜 画像
狩宿の下馬桜

富士の巻狩りで源頼朝が馬から降りた場所

狩宿の下馬桜かりやどのげばざくら

建久4年(1193)に、富士の巻狩りで源頼朝が馬から降りた場所にある「狩宿の下馬桜」。近くに頼朝が宿泊した建物もあります。余談ですが、その巻狩の最中に曽我兄弟が親の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を、討ち果たしました。 また、江戸幕府第15代征夷大将軍、徳川慶喜がこの桜について詠んだ歌「あわれその 駒のみならず見る人の 心をつなぐ山桜かな」があります。日本五大桜の一つです。

名木伝承データベース No.10

住所:静岡県富士宮市狩宿98-1

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定800年
樹高:35m  幹周:8.5m
来宮神社の大樟 画像
来宮神社の大樟

白髪の老翁に守られたご神木

来宮神社の大樟きのみやじんじゃのおおくす

木の周りを1周すると寿命が1年延びる、願い事が叶うと言われています。昔は大楠が7株ありましたが、嘉永年間(1848~53)に、大網事件という漁業権を巡る争動が起こり、訴訟費等の捻出のため5株を伐採したそうです。そのとき、この木も伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れ、キコリの持つ大鋸(のこぎり)を二つに折ってどこかへ消えたという伝承があります。それ以来、神木として崇めるようになったと言われています。

名木伝承データベース No.11

住所:静岡県熱海市西山町43-1

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定2000年
樹高:20m 幹周:24m
三嶋大社の楠 画像
三嶋大社の楠

三島七木、最後の一本

三嶋大社の楠みしまたいしゃのくすのき

三嶋大社総門の西側、神池の脇に御神木が立っていて、根元には祠もあります。江戸時代、箱根の関所を通る際、三島の名勝「三島七木(みしまななぼく)」を暗誦できれば、手形がなくても三島の人である証明になり、通行を許されたと言われています。七本とは、 間眠(まどろみ)神社の松、法華寺の松、石(おしゃもじ)神社の松、陣屋のケヤキ、道満塚(どうまんづか)の松、晴明塚(せいめいづか)の松、そして、この三嶋大社の楠です。残念ながら七本のうち現存しているのは、この楠だけということです。

名木伝承データベース No.12

住所:静岡県三島市大宮町2丁目1

樹高:16m 幹周:7m
三島神社の橘 画像
三島神社の橘

千鶴丸、無念の名木

三島神社の橘みしまじんじゃのたちばな

頼朝と八重姫の間の子、千鶴丸にまつわる話。八重姫の父、伊東祐親(いとうすけちか)は、この子のことを平清盛に知られては一大事と、八重姫から千鶴丸を奪い、家来に命じて川に沈めました。そのとき家来はせめてもの慰めにと、火牟須比神社(ほむすびじんじゃ)の神木である橘の小枝を二本折って、千鶴丸の幼い両手に握らせたのです。やがて川を下り海へ出て、この富戸の海岸に流れ着いた千鶴丸の遺体の両手には、しっかりと橘の枝が握られていたのです。その二本の枝をこの地に挿したところ、見事に根付き三島神社の橘になったと言われています。現在は何代目かの橘です。

名木伝承データベース No.13

住所:静岡県伊東市富戸686

備考:なし
火牟須比神社の橘 画像
火牟須比神社の橘

幼い千鶴丸に握らせた名木の枝

火牟須比神社の橘ほむすびじんじゃのたちばな

源頼朝と伊東の領主、伊東祐親(いとうすけちか)の娘、八重姫との間に生まれた千鶴丸を、祐親が平家を恐れて、川に沈めたと言われています。川に向かう途中、千鶴丸をあやすために、この神社の橘の枝を千鶴丸の手に握らせました。千鶴丸の遺骸は富戸へ流れ着き、握りしめていた橘の枝が根付いて、三島神社の橘になったと言われています。この二つの神社の橘は「おとどい(兄弟)の橘」と名付けられました。

名木伝承データベース No.14

住所:静岡県伊東市鎌田751

備考:なし
音無神社の椎の木 画像
音無神社の椎の木

頼朝と八重姫ゆかりの神社

音無神社の椎の木おとなしじんじゃのしいのき

音無神社は源頼朝と伊東祐親(いとうすけちか)の娘、八重姫が密かに逢っていた場所と言われています。神社内には、常緑広葉樹の高木である、このすだ椎(スダジイ)のほかに椋の木(ムクノキ)、伊東市指定文化財の椨(タブ)の木があり、「音無の森(おとなしのもり)」としてひっそりとした社を形成しています。伊東市内には、他にもすだ椎の巨木が神社や寺の森に多く見受けられます。

名木伝承データベース No.15

住所:静岡県伊東市音無町1-13

指定:伊東市指定天然記念物
樹高:25m 幹周:6.25m
三嶋大社の金木犀 画像
三嶋大社の金木犀

二度咲きの甘い芳香が広がる

三嶋大社の金木犀みしまじんじゃのきんもくせい

「三嶋大社の金木犀」は、毎年9月上旬と下旬に2度満開を迎えます。薄い黄色の可憐な花をつけ、甘い芳香が特徴です。この金木犀(きんもくせい)は1回目の花が散った後に、2回目の花を開かせる「二度咲き」の木として知られています。満開時には神社付近はもちろん、二里先までその芳香が届いたとの逸話もあります。そしてその時期に「木犀の夕」が催され、舞楽・筝曲が奏されるのです。周囲では原木の新芽を苗木とした後継樹も育成しています。

名木伝承データベース No.16

住所:静岡県三島市大宮町2-1-5

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定1200年
樹高:15m 幹周:4m
村上社の楠 画像
村上社の楠

航行する船の目印

村上社の楠むらかみしゃのくすのき

ここには元、八幡神社があったようですが、楠の成長の妨げになるとして、八幡神社の方がここから移ったようです。昔は家がほとんどなかったのか、この楠が渡船場にやってくる船の大事な目印になっていたと言います。また、この地に祀られている村上天皇は、他に任せるのではなく、天皇自らが政治を行う「天暦の治」で知られ、歌人としても評価が高く、琴や琵琶などにも精通し、平安文化を開花させた天皇と言われています。

名木伝承データベース No.17

住所:愛知県名古屋市南区楠町17

指定:名古屋市天然記念物
樹齢:推定450年
樹高:20m 幹周:10.8m 根回り:13.2m 枝張り:東西22m 南北:20m
地蔵大松 画像
地蔵大松

地蔵を埋めた目印に

地蔵大松じぞうだいまつ

現地の解説板には「蘇我氏と物部氏が仏教信仰を巡って対立し、物部氏が滅びました。以来、蘇我氏は仏教以外の礼拝を厳重に禁止し、そのため地蔵菩薩を信仰礼拝していた当地周辺の人々は、礼拝していた石像の地蔵菩薩をそばの堀に沈め、ひそかにこの場所を後世に伝えるための目印として、小さい松の木を植えたのが、この地蔵大松です。亨保17年(1732)の夏、干ばつで稲作が打撃を受けたとき、地蔵大松の近くの湿地を掘ると、地蔵菩薩が出土されたので、享和2年(1802)8月、大松のすぐそばに地蔵堂を建立し、お祀りしたものが現在に至っています」という内容のことが書かれています。

名木伝承データベース No.18

住所:三重県鈴鹿市南玉垣町5536ー1

指定:三重県指定天然記念物
樹高:20m 
幹の太さ6.7m 
枝の張り/東西32m・南北26m
柏原の野大神 画像
柏原の野大神

滋賀県最大の大ケヤキ

柏原の野大神かしはらののだいじん

「柏原の野大神」は、国道365号線沿いに立ち、すぐ後ろに神社があるので「八幡神社のケヤキ」とも呼ばれています。「野神」とは五穀豊穣の神であり、この柏原の野大神の前で、毎年8月に野神祭が行われます。木の脇に「野大神」の石柱が立ち、幹のかなり高い所に立てられた御幣が、神木であることを表しています。人の目線で見て目立つのは木のコブで、これにはそばを流れる高時川(たかときがわ)が氾濫しそうになったとき、枝を切ってせき止めたという伝説があります。その名残りがこの木のコブで、大ケヤキはまさに高月町の守護神なのです。

名木伝承データベース No.19

住所:滋賀県長浜市高月町

指定:滋賀県指定自然記念物
樹齢:推定500年以上
樹高:22m 幹周:8.4m
小野葛籠尻町のカヤ 画像
小野葛籠尻町のカヤ

小野小町、百夜通いの伝説

小野葛籠尻町のカヤおのつづらじりちょうのかや

小野小町に恋いこがれる深草少将。小町は自分のことをあきらめさせるために「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの思い通りになりましょう」と約束します。そうして遠い道のりを雨の日も風の日も通い続けましたが、最後の百夜目にして深草少将は、雪の中で息絶えるのです。小町はカヤの実を糸に綴ってその日を数えていましたが、少将を気の毒に思い、たまった九十九個のカヤの実を周辺に播きました。その中の一つが成長して「小野葛籠尻町のカヤ」になったと言われています。

名木伝承データベース No.20

住所:京都府京都市山科区小野葛籠尻町

指定:京都市指定保存樹
樹高:25m 幹周:6.25m
西浦の小町のカヤ 画像
西浦の小町のカヤ

深草少将、百夜通いのカヤ

西浦の小町のカヤにしうらのこまちのかや

平安時代、深草少将が小野小町のもとに百夜通うことを誓ったという、「百夜(ももよ)通い伝説」のカヤ。小町は自分のことをあきらめさせるために「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの思い通りになりましょう」と約束します。小野小町はカヤの実を糸につづって、その日を数えていましたが、最後の一夜を前に少将が世を去ったので、菩提を弔うために、そのカヤの実を、小野の里に播いたと伝えられています。そのうちの一本が、このカヤの木なのです。

名木伝承データベース No.21

住所:京都市山科区小野西浦2

樹齢:推定900年
樹高:15m 
根回り周囲:9.2m
大楠公手植えの楠 画像
大楠公手植えの楠

楠木正成の戦勝祈願!

大楠公手植えの楠だいなんこうてうえのくす

石清水八幡宮の境内西側、戦国時代に織田信長が奉納した土塀(信長塀)の後ろに、参路に覆いかぶさるようにある巨木です。江戸時代の『洛陽名所集』には「戦勝軍利を祈り、楠千本を八幡山にうへけり」とあり、楠木正成公が建武元年(1334)、必勝祈願参拝の折に、八幡山に植えた楠の中の一本と言われています。この場所、男山には同じような推定樹齢600〜700年と言われる楠の大木が、他にも数本あります。

名木伝承データベース No.22

住所:京都府八幡市八幡高坊30

指定:京都府指定天然記念物
樹齢:推定700年
樹高:30m 幹周:18m
葛葉稲荷の千枝の楠 画像
葛葉稲荷の千枝の楠

安倍晴明の母狐、葛の葉姫の物語

葛葉稲荷の千枝の楠くずのはいなりのちえのくすのき

「信田森神社(葛葉稲荷神社)(しのだもり くずのはいなりじんじゃ)」の創建は和銅元年(708)。清少納言も『枕草子』の中で「森は信田の森」と記すほど、日本の森の代表格のような扱いです。神社の由緒では、枝が四方に大きく広がっている様を、花山上皇(968〜1008)が見て「千枝(知恵)の楠」と名付けたとあります。また、この神社に伝わる白狐「葛の葉姫」の伝説が、古浄瑠璃の「信田妻」となり、歌舞伎や文楽の「蘆屋道満大内鑑」となりました。「恋しくは 訪ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」という歌を、狐らしい仕草で障子に書く場面が見せ場となっています。後に陰陽師、安倍晴明となる子供との別れの場面です。お話の内容は、それぞれの演目や伝説によって異なりますが、その舞台となるのは決まって、ここ「信田森神社(葛葉稲荷神社)」なのです。

名木伝承データベース No.23

住所:大阪府和泉市葛の葉町1-11-47

樹高:21m 幹周:11m
渡辺綱駒つなぎの楠 画像
渡辺綱駒つなぎの楠

剣豪が通い、馬をつないだ名木

渡辺綱駒つなぎの楠わたなべのつなこまつなぎのくす

この周辺はかつて善源寺荘と呼ばれ、大江山の鬼退治で有名な源頼光が支配する荘園でした。長徳年間(995~998)、頼光は源氏の八幡大神を祀り、産土(うぶすな)神社を創建して、頼光自らがこの樟を植えたと言われています。「駒つなぎ」の名は頼光の四天王の一人で、荘園の管理をまかされていた渡辺綱が、いつも馬をこの樟につないだからと伝えられています。昭和になって大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、戦災に遭い現在は枯死(こし)状態になっています。

名木伝承データベース No.24

住所:大阪府大阪市都島区善源寺町1丁目11-26

指定:大阪府指定天然記念物
樹齢:推定900年
樹高:20m 幹周:10m
戦災により現在は枯死状態
鶯塚のムクの木 画像
鶯塚のムクの木

神木は知る、娘とウグイスの物語

鶯塚のムクの木うぐいすづかのむくのき

昔、大阪の長柄(ながら)に裕福な長者がおりました。長者には、気だてのやさしい娘がいましたが、体が弱く、娘は病気で外に行くこともできません。友達と言えば飼っているウグイス一羽きり。朝晩ウグイスに語りかけるのが、娘の楽しみだったのです。やがて、娘の病気は重くなり、ついには死んでしまいました。するとウグイスも次の日、ひと声大きく鳴いて、後を追うように死にました。長者はかわいそうに思い、ウグイスを娘といっしょに埋めました。それが今も残る「鶯塚」です。今ではさまざまな人が、このムクの神木と鶯塚を訪れてベンチで休憩したり、遊んだりしています。生前、友達もなかった長者の娘ですが、今はきっと寂しくないでしょうね。

名木伝承データベース No.25

住所:大阪市北区長柄東2丁目7

備考:なし
松虫塚の榎 画像
松虫塚の榎

人の心を魅了する虫の音色

松虫塚の榎まつむしづかのえのき

江戸時代初期の書物『芦分船(あしわけぶね)』には、後鳥羽上皇に仕えた松虫という官女の墓であると書かれています。彼女は法然上人の説法を聴いて感銘を受け、念仏修業を志し上皇に無断で出家しました。上皇は怒り、法然を土佐に流して松虫も追放したのです。のちに彼女はここ阿倍野に住んで、念仏三昧の生涯を終えたと言われていますが、京都の安楽寺に彼女の墓がありますので、おそらく阿倍野の松虫の音があまりに素晴らしいので、同じ名前の京の松虫の話を持ってきたというところでしょう。この「松虫塚」は、道路の改修にあたって撤去させられるところを、地元の人々の反対にあい、昭和55年(1980)に美しく整備して、樹齢800年余と言われる榎とともに今も健在です。

名木伝承データベース No.26

住所:大阪市阿倍野区松虫通1丁目11

備考:なし
JR下淀川鉄橋橋際延命地蔵尊 画像
JR下淀川鉄橋橋際延命地蔵尊

死神転じて地蔵菩薩に

JR下淀川鉄橋橋際延命地蔵尊JRしたよどがわてっきょうはしきわえんめいじぞうそん

明治時代の淀川改修工事の頃。この塚本の土手あたりに大きな柳の木がありました。その木で首つり自殺する人が出たのをきっかけに、線路に飛び込んだり、川に身投げする人が相次ぎました。周辺の住民は協議の結果、これは何か死神のようなものの仕業ではないかということになり、まず雰囲気を変えようと、うっそうとした雑木や雑草を刈っていくと、柳の大木の根元に大きな蛇が巻きついていたのです。「そうか、この巳さんの祟りに違いない」と、村の古老たちが僧侶を呼んで祈祷してもらい、柳を切り倒しました。そして、その幹を使って彫りだしたのが、今の「延命地蔵尊」で、人々の苦悩をやわらげ、その罪を消して寿命を延ばしてくれる地蔵です。首くくりの柳が転じて、人の命を助けるお地蔵さんになったという珍しいお話です。

名木伝承データベース No.27

住所:大阪府大阪市淀川区塚本1丁目15-9

備考:なし
義経腰かけの松 画像
義経腰かけの松

平敦盛の首実検をした巨木

義経腰かけの松よしつねこしかけのまつ

源義経は元暦元年(1184)、一ノ谷の戦いで、熊谷直実(くまがいなおざね)が討ち取った平敦盛(たいらのあつもり)の首を、この松の木の手前にある池で洗い、木に腰を掛けて首実検をしたという伝承があります。そのため「首実検の松」とも呼ばれています。 床が石でできた屋根付きの建屋の中に、倒木した大きな枯れた幹部が置かれていて、現地でその姿を見ることができます。

名木伝承データベース No.28

住所:兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8

備考:倒木した姿を見学できる
木の根橋 画像
木の根橋

根が伸びて川をまたぐ

木の根橋きのねばし

すぐそばを流れる奥村川(幅約6メートル)を、根がまたぐように伸びた古木です。枝を手でさわると枯れてしまうので、お気をつけください。この大ケヤキの樹勢回復のための保護と治療をきっかけとして、昭和63年(1988)に「巨木を語ろう全国フォーラム」の第1回大会がこの旧柏原町で開催されました。また、この木の前に織田神社があり、柏原町は織田家の城下町としても知られています。くわしくは、下記YouTubeをごらんください。

名木伝承データベース No.29

住所:兵庫県丹波市柏原町柏原5-1

指定:兵庫県指定天然記念物
樹齢:推定1000年以上
樹高:25m 幹の直径:6m
月刊「こだまっこvol.2」に特集あり。アマゾンで検索を
YouTube:「根が川をまたぐ 木の根橋」
https://www.youtube.com/watch?v=83anSnNBwRc
たんだの椿 画像
たんだの椿

想像上の娘さんを椿の木になぞらえた

たんだの椿たんだのつばき

昔、平野村のお屋敷に立派な椿の木がありました。この家に病弱な娘がいるという噂もありましたが、誰も見た者はいませんでした。そんなある日、その立派な椿の木が急に弱り、屋敷の主人はその衰えように気味が悪くなって、なんと切り倒してしまったのです。村人はまるで噂のお嬢さんの様態が、同じように悪くなっていくような気がしました。それから数年後、切り株からひこばえが出て成長し、現在では「たんだの椿」と呼ばれて、美しい花を咲かせています。

名木伝承データベース No.30

住所:奈良県香芝市平野

備考:奈良の有名な昔話
鷺原道の楠 画像
鷺原道の楠

幹が空洞でも雄々しく生きる

鷺原道の楠さぎはらみちのくすのき

幹の内部が空洞と化し、通常なら枯死状態になってもおかしくない樹木です。それが樹皮によって養分が運ばれているのか、葉は青々と茂り、他の樹木と変わらないように見えます。この「鷺原道の楠」の「鷺原道(さぎはらみち)」とは、飛火野方面から春日大社方面を結ぶ野道です。別名「地僧道(じそうみち)」と呼ばれ、かつて興福寺大乗院の僧が春日大社へお参りした道で、春日大社表参道の瓢箪灯籠に通じています。時代を超えて、内部が空洞と化しても生きる生命力の素晴らしさを、ぜひ、奈良、飛火野でごらんになってください。

名木伝承データベース No.31

住所:奈良県奈良市春日野町春日大社飛火野

樹高:24m 幹周:7.3m
芝辻町の野神さん 画像
芝辻町の野神さん

かつては村人たちが集った御神木

芝辻町の野神さんしばつじちょうののがみさん

近鉄電車「大宮」駅を降りて5分ほどの所にある御神木。しかし、現地にはこの御神木を説明する解説板も何もありませんが、不思議なことにグーグルマップには「ノガミサン」と出てきます。このノガミの「野神信仰」とは、五穀豊穣を願う田んぼの神様です。「芝辻町の野神さん」もごく身近な神様なので、ここに村人たちが集ったのでしょう。木の横の駐車場に面した枝はみんな途中で切り取られています。かつてはもっと枝ぶりが大きく、すごかったんだろうと想像します。

名木伝承データベース No.32

住所:奈良県奈良市芝辻町

備考:なし
三宅町の農神さん 画像
三宅町の農神さん

子供たちの楽しい仲間入り

三宅町の農神さんみやけちょうののがみさん

現地の解説板に「祭りの前日に氏神にて十五歳の男子が中心となって、わらや杉葉で三メートルに及ぶ蛇を作る。翌朝早くに蛇を「野神塚」へ運び、小豆餅、神酒、山海の幸を供えて古老の祈祷を受ける。豊作を祈願し、供え物を食べる楽しい仲間入りの行事である」と書かれてあり、その解説板から30mほど細い道を行くと、御神木がそびえ「野神の塚」があります。ここで重要なのは、解説板にある子供たちの「楽しい仲間入り」でしょう。この野神祭りは、地域への子供の参加行事なのです。

名木伝承データベース No.33

住所:奈良県磯城郡三宅町石見

備考:なし
椚神社の椚の霊木 画像
椚神社の椚の霊木

弘法大師の杖が霊木に成長

椚神社の椚の霊木くぬぎじんじゃのくぬぎのれいぼく

椚神社(くぬぎじんじゃ)は椚(くぬぎ)の霊木を中心に囲いがあり、道路の半分を占拠しています。一説によると弘法大師が椚でできた杖を地面に刺したら、それが根付いて木になったと言われています。他の地域でもよく言われるのが、道をふさぐ霊木がじゃまだから切ろうとすると、作業員が亡くなったとか、木から血が出たとかで、祟りが怖くて残しているという、まことしやかに語られる都会の怪談です。でも実際は、霊木も地蔵も土地を守っているので、おいそれと移動できないというのが本来の理由でしょう。

名木伝承データベース No.34

住所:奈良県奈良市肘塚町208

備考:なし
一の橋の樟樹 画像
一の橋の樟樹

空襲で受けた傷も回復

一の橋の樟樹いちのはしのくすのき

和歌山城(和歌山城公園)の北の角、高さ6mほどの石垣に覆いかぶさるように枝が地面近くまで垂れている楠です。この城内最大の樹木は「昭和20年(1945)の和歌山大空襲で損害を受けた」と解説板に書いてあります。おそらく一部が焼けてしまったのか、爆撃によって枝や幹が損傷を受けたのでしょう。一時は、このまま枯死するのではないかと心配したということですから、かなり重症だったはずです。でも今は、どこがやられたのかわからないほど、樹勢が回復しています。

名木伝承データベース No.35

住所:和歌山県和歌山市一番丁3

指定:和歌山県指定文化財、天然記念物
樹高:25m 幹周:7m 枝張り:35m