PROJECTプロジェクト

銘木総研が「いわれ」にこだわり、更新している名木伝承調査リストです。
今後も内容を精錬させ、名木伝承データベースへの引き継ぎます。

項番 名称 住所
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写真 「いわれ」概要

樹齢及び
大きさ

1 頼朝杉 〒427-0001 静岡県島田市千葉 智満寺境内

・智満寺は平家打倒が叶った後、大願成就を祝して、文覚の勧めにより頼朝が千葉常胤に本堂を再建させたものです。
・千葉氏が再建したので、山号は静岡にありながら千葉山なのです。
・文覚や千葉常胤の行動力により、平家打倒、奥州征伐により武家社会の幕開けという偉業を成し遂げた証に植えたのがこの頼朝杉です。

自然
倒木
2 頼朝桜 〒299-2111 千葉県安房郡鋸南町大崩39

・千葉県鋸南町は、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、真鶴から船出して上陸した地。
・頼朝は、鋸南町で再起して鎌倉入りを果たしました。
・そのため、鋸南町では河津桜を「頼朝桜」と名付け、毎年「頼朝桜まつり」が開催されています。
・頼朝桜は、2001年に静岡県河津町から「河津桜」の原木を譲り受けて植栽が始まりました。
名木探訪記シリーズ② 頼朝桜

樹高:4m
幹周:1m
樹齢:-
(複数本)

3 政子の安産杉 〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 ・箱根神社はこの皇祖三神をおまつりしていますが、この木は古代祭祀の象徴たる 神籬ひもろぎ (栄木)として崇めてきたものです。
・これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するようになりました。
・かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生しました。
・爾来武家庶民の間にもこの風習が広く行れるようになったといわれます。
・こうしたことから、境内にある矢立の杉と共に「霊妙杉」と称えられていますが、今日でも当神社の安産守は霊験灼かだと信仰されています。
樹高:40m
幹周:19.31m
樹齢:1000年
4 狩宿の下馬桜 〒418-0117 静岡県富士宮市狩宿98−1 ・富士の巻狩りで源頼朝が馬からおりたところといわれる「狩宿の下馬桜」
・近くに富士の巻狩り時に宿泊していた建物もある。ここで曾我兄弟に襲われかけたことでも有名です。

樹高:35m
幹周:8.5m
樹齢:800年

5 土肥の大椙 〒259-0313 神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋  治承四年(一一八〇年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝主従地元豪族土肥実平一族に僅かに七騎、この辺りの大杉の伏木の空洞に隠れた所と伝えられる。平家方・大庭景親の命により梶原平三景時は、伏木の中をうかがい、頼朝と目が合ったが、助けようと決意し、蜘蛛の糸を鎧に付けて出て来て、誰もいないと他の者の探索を許さなかった。後に、景時は頼朝の家来になったという。世に言う「土肥大杉の一件」まさに歴史の転記鎌倉幕府発祥の起源である。
大正六年大暴風雨で倒れるまで、大朽穴のある大杉があり、頼朝主従が隠れたと伝えられていた。
名木探訪記シリーズ① 土肥の大椙
自然倒木
6 石清水八幡宮神木 〒614-8005 京都府八幡市八幡30 ・境内西側を囲う土塀の外 直ぐ間近に参路を覆い被さる様に『楠』の巨木が立っています
・コノ楠を植えたと言われている人物が同じ名前の楠木正成で まるでシャレ!
・1334年に必勝祈願の参拝の折りに植えられ樹齢は約680年を少し越えた辺りの老木で樹高約30m 根幹周り18mとの事です

樹高:30m
幹周:18m

7 須磨寺 義経腰かけの松 〒654-0071 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6−8 ・源義経は、一ノ谷の戦いで熊谷直実が討ち取った平敦盛(あつもり)の首をこの松樹手前の池で洗い、木に腰を掛けて首を実検したとの伝承を持ちます。
・そのため、首実検の松とも呼ばれます。
倒木
8 長勝院旗桜 〒353-0007 埼玉県志木市柏町3丁目11−13 ・世界に一つ ここにしかない種類の桜です
・サクラの花びらが、二重になっているものがあります。外側の花びらの内側に旗がたつように、細い花びらがつきます。
・花によって二枚くらいつくものがあります。全く一重の花びらもあります。
・旗弁と呼ばれているこの部分を見つける楽しみがあります。
・中世の北条氏康の時の豪族・大石氏の城「柏の城」の生き証人でもあります。
樹高:11.2m
幹回:3.05m
9 影向寺の乳イチョウ 〒216-0041 神奈川県川崎市宮前区野川本町3丁目4−4 ・イチョウの樹齢は推定約650年、樹高28メートル、胸高周囲は8メートルを超える巨木で、かながわの名木100選にも指定されている。
・言い伝えによるとその昔、乳が出ずに困り果てた母子が、幸区小倉の池に身投げしようとしたところ光を発見。ついていくとこのイチョウの前で「乳柱(気根)を削って汁を飲め」とのお告げがあり、その通りにすると乳が出るようになったという。
・市文化財課担当者は「イチョウは『川崎町の樹50選』にも選ばれるなど、ランドマーク的存在として地域に親しまれている。また現世利益信仰の薬師像を祀る同寺の歴史や特徴を表しており、今回文化財として選定した」と話す。
樹高:28m
幹回:8m
10 渡辺綱駒つなぎの楠木 〒534-0015 大阪府大阪市都島区善源寺町1丁目11−26 ・このあたりは、かって善源寺荘と呼ばれ、大江山の鬼退治で有名な源頼光が支配する荘園でした。
・長徳年間(995年~998年)頼光は源氏の八幡大神を祀り、この地に産土:うぶすな:神社を創建しましたが、そのとき頼光自らが、この樟:くす:を植えたと言われています。
・駒つなぎの呼び名は、頼光の四天王の1人で、この荘園の管理をまかされていた渡辺綱が、この神社に詣でるとき、いつも馬をこの樟につないだためであると伝えられています。
・樹齢900年と推定される樟は、昭和のはじめに大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、残念なことに戦災にあい現在は枯死状態になっています。
・当時既に樹勢は衰えてきたものの、幹の周囲約30尺(約10m)、高さ約60尺(約20m)あったという。
樹高:20m
幹回:10m
11 禅寺丸柿の原木 〒215-0013 神奈川県川崎市麻生区王禅寺940

1333年の新田義貞の鎌倉攻め。この時焼かれた王禅寺を復興せよとの朝廷の命により、等海(とうかい)上人という僧がこの寺の再建にやってきました。建材探しに王禅寺の山中に入りますと、そこに見たことも無いような丸くて赤い柿がなっていたので、一口食べてみると、非常に甘くて美味しかったのです。日本最古の甘柿、発見自体は1214年ですが、発見から鎌倉攻めまでの間は王禅寺の僧の間でのみで自生している柿を適当に食べていたようです。等海上人は、王禅寺周辺の村々が新田軍の食料強奪で田畑が荒らされたことによる窮状を憂いていました。そこで思い付いたのが、この柿木の枝を折って持ち帰り、早速村人に接木(つぎき)をさせて栽培を広めるということです。等海上人の想定通り、この柿をこの土地の名産として売り出すと、瞬く間に有名となりました。世間では「王禅寺丸柿」と呼んで爆発的に売れましたが、そのうちに「王」が取れて「禅寺丸柿」と呼ぶようになったそうです。この甘柿の人気はかなり長く続きます。江戸時代になると、江戸という大消費地域を近隣に控えたこともあり、生産量は更にうなぎのぼりとなります。そして村総出で禅寺丸柿を栽培するこの土地を、(禅寺丸)柿が生まれた場所ということで、いつしか「柿生(かきお)」と呼ぶようになったのです。
名木探訪記シリーズ③ 禅寺丸柿の原木

樹高7m
幹周1.5m

 

12 来宮神社の大樟 〒413-0034 静岡県熱海市西山町43

・昭和8年に天然記念物に指定されました。
・木の廻りを1周すると寿命が1年延びる、願い事が叶う等が言われています。
・昔は7株の大楠がありましたが、嘉永年間(1848~53年)、大網事件という漁業権を巡る争論が起こり、訴訟費等捻出のために5株を伐採したようです。
・その時に、この木も伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れ、樵夫の持つ大鋸を2つに折ってどこかへ消えたという伝承があります。それ以来神木として崇めるようになったということです。

樹齢2000年
樹高20m
幹周24m

13 三嶋大社の金木犀 〒411-0035 静岡県三島市大宮町2−1−5

・国天然記念物指定。毎年9月上旬と下旬に2度満開を迎える。薄い黄色の可憐な花をつけ、甘い芳香が特徴です。
・夏が終わり涼しくなる頃に全部の枝に花をつけ、2度に渡り満開となるのです。そうこの金木犀は1回目の花が散った後に2回目の花を開かせる「2度咲き」の木として知られています。
・満開時には、神社付近はもちろん、2里先までその芳香が届いたとの逸話もあります。
・そしてその時期に「木犀の夕」が催され、舞楽・筝曲が奏されるのです。
・現在、周囲に原木の新芽を苗木とした後継樹を育成しています。

樹齢1200年
樹高15m
幹周3~4m
14 音無神社のタブの木 〒414-0032 静岡県伊東市音無町1−13

・市指定文化財(天然記念物)です。
・タブの木は、海に近い暖地性の常緑高木で、クスノキ科に属し、別名イヌグスあるいはタマの木とも言います。
・日本の中部以南から遠くは沖縄、中国南部にかけても自生しています。
・伊豆でも、巨大なものは珍しく、このように市街に巨樹が残っていることは、伊東市がいかに温暖であるかを示す標本木(学術的)なのです。(伊東市教育委員会)
・ちなみに音無神社は伊豆に流された頼朝が、伊東の有力者・伊東祐親の娘(八重姫)と逢瀬を重ねた神社としても有名です。

樹高12~14m
幹周3.5~4.1m
(複数本)

15 音無神社の椎の木 〒414-0032 静岡県伊東市音無町1−13

・市指定天然記念物
・音無神社は源頼朝と伊東祐親の娘八重姫が逢っていた場所と伝えられています。
・神社内には、このスダジイのほかにムクノキ、指定文化財のタブの木があり、「音無の森」としてひっそりとした社を形成しています。
・伊東市内にはスダジイの巨木が、神社や寺の森に多くみられます。

樹高25m
幹周6.25m

16 森戸神社の千貫松 〒240-0112 神奈川県三浦郡葉山町堀内1025

・葉山の御用邸の近くに、森戸大明神という、通常の年でしたら、今頃は大変海水浴客で賑わう森戸海岸の横の神社があります。
・その神社の裏手、海岸に突き立った岩の上に「千貫松」という松があり、この名前の由来が以下の通りなのです。
・「源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。」(神社HPより抜粋)

17 千葉・「羽衣松」 〒260-0855 千葉県千葉市中央区市場町1

・この松に羽衣をかけて、「千葉(せんよう)の蓮の花」が咲き誇るのを見入った天女。
・松に掛けた羽衣を奪い、自分の妻としたこの土地の豪族・平 常将(つねまさ)
・「妙見実録千葉記」には、この事情を聴いた天皇が深く感銘し、前代未聞。常将は今後、千葉の蓮の花にあやかり 千葉 常将と名乗れと言ったとあります。
・どの天皇が言ったのか。そもそも羽衣伝説自体、伝説ですから少々怪しい感じのする実録ではありますが、この辺り(千葉市)や、市川市あたりに妙見宮が多く見られます
・軍神として崇敬される妙見菩薩は千葉氏の家紋・九曜紋にも使われているようで、つまりこの記録は、この後、千葉常胤 等へと続いていく千葉一族の縁起を書いていると思われます。

18 永福寺跡の中尊寺ハス 〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂

《鎌倉・永福寺跡の中尊寺ハス》
・奥州藤原氏4代目の藤原 #泰衡(やすひら)は、頼朝 に滅ぼされます。
・頼朝が怖いばかりに義経を高館で殺し、更に頼朝が軍勢を動かして平泉を攻めた時でも逃げ回り、最後は部下に殺される、臆病な4代目として知られている泰衡。
・彼の首はその部下によって頼朝に届けられ、頼朝はそれより100年前のご先祖・源頼義(よりよし)が例に則り、岩手県盛岡市の厨川柵にて八寸釘で板に打ち付けます。
・頼朝に従って集まった28万の武士たちが、その瞬間ワーッと湧き、武士の時代が開かれたと実感できる象徴的な出来事でした。1189年のことです。
・実は泰衡の首(頭部)は、中尊寺の藤原氏3代のミイラと一緒に、手厚く葬られています。
・昭和25年の調査では、彼の頭部は、頼朝の命により八寸釘で板に打ち付けられた痕が生々しく残っていることが確認されると同時に、縫合された跡もあり、泰衡が決して人望の無い領主では無かったことが分かります。
・更にこの調査では、この泰衡の首桶から80粒ほどの蓮の種が見つかったのです。
・その種は平成10年に中尊寺の池で発芽、「#中尊寺ハス(泰衡ハス)」として有名になりました。
・更に、この中尊寺ハスは、平泉市から鎌倉市へ令和直前に、頼朝に滅ぼされた830年の過去を超越して5株寄贈されたのです。
・鎌倉の 永福寺(ようふくじ)は、上記奥州征伐後、その戦死者等を弔うために、平泉の中尊寺や毛越寺、無量光院を真似て頼朝が立てた大伽藍でした。
・奥州藤原氏と頼朝の和解の象徴として、今年令和3年になってから、この永福寺跡に置かれたのです。
・泰衡の首級と一緒にこの蓮の種を首桶に入れた、800年以上前の名も知れぬやさしい蝦夷(えみし)の方は、泰衡の真の理解者だと思います。
・その方は、泰衡が後世、臆病者と誤解され続けても、数百年後、数千年後に、この蓮の種を蒔き、美しい蓮の花が咲くのを見た人の中に、きっと泰衡の心根のやさしさを、真に理解してくれる人が現れることを期待して種を入れたのかも知れません。
・その古(いにしえ)の方の想いが832年後の今、この場所で実現しています。

19 佐賀・江藤新平「別れの松」 〒840-0862 佐賀県佐賀市嘉瀬町扇町2617−7

 

20 高伝寺の「八太郎槇」 〒840-0027 佐賀県佐賀市本庄町1112−1

 

21 鶴岡八幡宮の大銀杏 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1

 

22 わに塚の桜 〒407-0042 山梨県韮崎市神山町北宮地624
23 明神の楠(湯河原町) 〒259-0304 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下353

 

24 葛見神社の大楠 〒414-0033 静岡県伊東市馬場町1丁目16−40

 

25 三島神社の橘 〒413-0231 静岡県伊東市富戸686

・永正元年(1160年)伊豆に流された源頼朝は宇佐美の宿に潜在中、伊東の庄祐親の三女八重姫と音無の森で人目を忍ぶ仲となり、やがて八重姫は頼朝の男子を産んで千鶴丸と名付けました。
・これを知った平家の官領である父祐親は清盛に知られては一大事と八重姫から千鶴丸を奪い家来に命じて伊東の八代田にある川の稚児が淵(千鶴丸を沈めた後につけられらた名称)に体に石を付けて沈めたのです。
・この折通る道側に火牟須比神社の神木である橘の花が香り高く匂っていたので、家来はせめてもの慰めにと小枝を二本折って、千鶴丸のその幼い両方の手ににぎらせたのです。
・やがて川を下り海へ出て、この富戸の宇根の海岸に流れ着いた千鶴丸の遺体は、この地域の住民によって拾い上げられました。可哀そうな千鶴丸の両手には、しっかりと橘の枝が握られていたのです。
・遺体を葬ると同時に、手に握っていた二本の橘の小朶を、この地に挿したところ、無残にも一命を絶たれた思念はこの橘に移ったのか、見事に根付きました。

26 火牟須比神社の橘 〒414-0054 静岡県伊東市鎌田751

・源頼朝と、伊東の領主祐親の娘八重姫との間に生まれた千鶴丸は、平家を恐れて、この上流の稚児が淵へ沈められたと言われています。(曾我物語)
・その途中、千鶴丸をあやすために、この神社の橘の枝を千鶴丸の手に握らせました。
・千鶴丸の遺骸は、富戸へ流れ着いて、富戸の三島神社の若宮になったと言われています。その三島神社の橘は、千鶴丸が握りしめていた橘の枝が根付いたものだと伝承されています。
・この2つの神社の橘は「おとどい(兄弟)」の橘と言われています。
(伊東市教育委員会編集)

27 六代御前の墓の大欅 〒249-0005 神奈川県逗子市桜山8丁目2−1−7

 

28 三嶋大社の楠 〒411-0035 静岡県三島市大宮町2丁目1

・三嶋大社総門の西側、神池の脇に2本離れて、御神木の大楠が立っています。
・根元には祠があり、お供え物もされています。
・江戸時代には、箱根の関所を通る際に三島の名勝を暗誦できれば、手形が無くても三島の人である証明になり、通行を許されたといわれる三島七木のうちの1本です。

樹高16m
幹周7.1m